2008年11月24日

本郷を散歩する

平成20年11月のとある日


ゆっくりできる日々が1年ぶりに戻ってきたので久しぶりに東京は本郷界隈に出かけた。
風が少々きつめだが青い空が更に青く澄み渡っている。

本郷は多くの文人が暮らしていた住居跡や明治時代からの旅館が今も残っている。
ここは新興住宅地とは程遠い街並だ。
初めて歩く人には、「文京ふるさと歴史館」に立寄ることを進める。
ここで江戸時代の武士や町人の暮らしや「文教のまち」を形成した学者や文人達の足跡をたどる事ができる。
そういう私も久しぶりなので立ち寄ることにした。

地下鉄「本郷三丁目」で下車するのだが、改札は一つで出口が二つに分かれる。
この駅は、”天下の大学 東京大学”の入り口駅である。東大出口とは反対に進むと「春日通り」がすぐに出てくるので横断して後楽園方面に歩く。
「真砂坂上」のバス停がでてくるので右折し、ほんの少し歩くと左に「文京ふるさと歴史館」が現れる。

「文京ふるさと歴史館」をでて直進すると「炭団坂」(たどんざか)が現れる。本郷らしい風景だ。

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「炭団坂」は、その昔、雨が降るとすぐにどろどろとなり、この坂で転んだ人が炭団のように真っ黒になることから名づけられたとのこと。
炭団を知っている人も少なくなっているので死語になりつつあるが、、、、、、

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炭団坂を下る手前の左手、下から登ってきた場合は右手に「坪内逍遥旧居跡」がある。
坪内逍遥(1859〜1935)は小説家であり評論家でもあり、『小説真髄』をここで著し、写実主義を主張し近代文学の礎を築いた。
ここは細い道路だが今はきれいに整備され、周りは近代的なマンションが立ち並んでいる。
「炭団坂」は短いが急勾配で左右は格式のあるお屋敷に囲まれている。

「炭団坂」を下りきると細い道に当たる。道を右側に行くと「宮沢賢治旧居跡」が見えてくる。賢治が大正10年1月に上京し、
二軒長屋の左側の2階6畳間に間借りしていたという。この時の家が平成2年まで残っていたと事である。
このような細い路地を引き返し道なりに進む。古い民家が所々に現れるので郷愁にひたっているうちに「樋口一葉旧居跡」を通り越してしまったらしい。
又来ればよいと思い先を進んだ。道なりに進み、菊坂から続く道路を右手菊坂方面に進むと「一葉ゆかりの旧伊勢屋質店」を見ることができる。

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りっぱな建物である。一葉が生活苦のためよくかよっていた質屋であった。

「胸突坂」はほんとうに急な坂である。この急勾配な坂に洒落たマンションが建っている。そこへベンツがゆっくり前方から坂を下りてきて洒落たマンションに消えた。
この辺に住める人たちを羨ましがっても仕方ないと前を見て進んだ。

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木造の懐かしい建物が現れた。「鳳明館」だ。明治時代から残る有名な旅館だ。大栄館等と明治の文豪が宿泊し執筆活動を行った旅館である。
築100年の建築物である。現在も宿泊客はいるのである。


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2007年09月09日

香港旅行(2)

海の向こうには、たくさんの新しいきれいなビルが見える。

その多数のビルが独自の灯りを発し、何とも言えない美しさを

演出している。

対岸の香港島を見ながら海岸沿いを歩いていると、

光が夜空を照らしはじめ、何やら大きな音が聞こえた。

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<光のショー>

光のショーが始まったのだ。

いやはやすごい。これが香港の夜景か!

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話には聞いていたが、素晴らしい美しさだ。

日本にはない演出だ。

海の上をかなりのたくさんの船が行き来している。

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遊覧船からこの光ショーを楽しむ人たちもいる。

今度来る時は是非、遊覧船からの眺めを味見したい。

九龍側からも光を発している。香港島からのビルの明かりが

日本のネオンとは違い、ビル全体がスクリーンのように、

青や黄色の色とりどりの光が輝いたり暗くなったりしている。

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光は海に反射され、サウンドによる効果も抜群で、

多くの見物者たちはこの光の中に吸い込まれてゆく。



夕食を忘れていた。

見知らぬ土地でもあり、そろそろ帰ろうとしていた時、

雨が降りだした。

そしてショーも終了した。


海岸に沿ってペニンシュラ・ホテルまで来て、そこから

シェラトン・ホテルとの間の道を歩き出した。

夜も賑やかで観光客への時計などを売り込みが烈しい。

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しかし、飲食店がなく、引き返した。


<夕食>

そろそろ夕食にしなければならない。

そんな中、帰り道でホテルの裏手に当たる道に面して

上海料理の店に恐々入っていった。

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意外にきれいな店作りで、サービスもよく、料理も美味しい。

さらにビールも美味しく、老酒も美味しい。

そして値段も安かった。大変満足した夕食であった。




ペニンシュラにもどり、風呂に入った。

この風呂場はさすがとしか言いようがない豪華なつくりである。

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シャワー室と浴槽とが完全に分離しており、シャワーを

してからゆっくりと大きな浴槽につかると疲れは

完全に取れるのだ。

そして寝る前のビールを飲んだ。

明日は早いのでベッドに入った。

このベッドが大変に眠りやすくできている。

大きなベッドに大きな枕。何とも気持ちよい。

続く
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2007年09月01日

香港の旅(1)

20年ぶりに海外旅行へ行くことにした。

深い意味はなく、場所は香港に決めた。

<成田空港へ>

成田空港へ7時30分の集合のため、我が家に5時45分に

タクシーを呼び川口駅から日暮里駅へ、そして

京成スカイライナーで成田空港第二ターミナルへ。

慣れていないせいか、心に余裕がない。

やっとJTBのカウンターを見つけ、航空券を貰い、

出国手続きなどの説明を受ける。

まずはひと安心だ。

香港の空港内で必要になるかもしれないと思い

香港ドルに両替した。

その際、両替の仕方に慣れていない老人夫妻の

ど派手なけんかが目の前で起きた。

こちらはなんともしようがない!

早く終わって欲しいと願った。

荷物検査も無事終了し、搭乗ゲートへ向かう。

先ほど喧嘩した夫婦が途中のベンチに座っていた。

じろじろ見るわけにも行かず先を急いだ。

香港行きJALの搭乗口で元横綱の武蔵丸が

待合室にひとりぽつんと座っていた。

さすがに大きい。ただ身体が大きいというだけでなく、

顔から何までほんとうにでかい。

<飛行機の中>

日本の飛行機はほんとうにきれいに離陸する。

高度1万メートルに達すると飛行状態は

さらに安定してきた。

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通路側の隣の人はこの暑い夏にもかかわらず、

ビジネスマンらしくビシーとダークスーツに

ネクタイをしている。

いよいよ飲み物サービスが始まった。

スーツ姿の隣人はワインを頼んだ。このワインは

4分の1ボトルだ。

あっという間に3本を飲み干してしまった。

こちらはビールを飲みたいところだがトイレを

心配して温かい紅茶を注文したというのに、、、、、、

さすがにワインを早々と飲み干す光景を見せられては、

考えをあらためる事にした。

機内食を配る際、こちらもブランデーを水割りで注文した。

香りも好く美味しい!

運ばれた機内食は大変美味しく、ブランデーの香りも

助長され、気持ちがやっと落ち着いてきた。

隣の人はワインだけでは物足りず、さらにウイスキーを

注文した。すごい!

香港までのフライト時間は4時間10分であるが、

時差があるため、日本より1時間戻る。

従って到着時間から考えると3時間10分が飛行時間となる。

<香港到着>

香港空港に到着する。

飛行機から降りるが、勝手がわからずみんなの後に付いてゆき、

到着ゲートから地下鉄のようなモノレールのような乗り物に

乗って入国検査へ向かう。

預け入れ荷物を受け取り、到着ロビーでJTBのガイドさんと

会い、他の日本人観光客と合流する。

バスにてそれぞれのホテルに向かう。

バスの中でガイドさんより香港でのしきたりを説明される。

チップについてとか、水は生で飲んではいけない!

通貨の両替等について細かい点を教えてくれた。

初めて見る香港の景色はやはり日本とは違う。

街中をもう少しゆっくり見たいが、空港からホテルまで

約30分程度で到着してしまった。

<ホテル>

ホテルに着いた。

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ホテルはペニンシュラだ。

香港で一番伝統のあるホテルだそうだ。

早速、部屋を案内してもらう。

素晴らしい。落ち着きがあり、重厚な雰囲気がある。

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部屋に荷物を置き、ソファーに腰掛けて、座り心地を

試していると、いきなりチャイムが鳴った。

何なのか? 一瞬、不安感がよぎったが、

取り急ぎドアーを開ける。

紅茶を運んできてくれたくれた。

先ほど教わったとおりチップを出した。

ボーイさんはニッコリ笑って帰っていった。

紅茶をこの豪華なホテルの部屋で飲むなんて夢のようだ。

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しかし、この先このように予期せぬ出来事が待っているのかと

思うとチップ用小銭は足りるのか心配になった。

時間があるのでJTBに連絡してマッサージを予約した。

場所はペニンシュラから歩いて20分くらいのホテル・ニッコーの

中にあるという。

道について、何もわからないが歩いて行く事にした。

地図を片手に歩き出した。

外に出ると、怖ろしいのは、人間よりも車が優先される事だ。

横断歩道も何もあったもんではない。

香港の人たちは皆慣れているのだろう。

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きょろきょろしながら歩く。

何とかホテル・ニッコーを見つけた。

時間は少し早いが、マッサージをしてもらった。

全身マッサージだ。少し強めだが、気持ちよい!

45分コースだが60分くらい揉んでもらったようだ。

すでに現地時間で19時45分を回っていた。

帰る道すがら、夕食場所を適当に見つけようと

また歩きだした。

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夕暮れから夜の風景に変わろうとする時間帯となっていた。

(続く)
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2007年06月03日

門前仲町を散歩する(3)

五月の夕方はまだまだ明るい。

清澄庭園をあとにして門前仲町方面へ歩き出す。

清澄通りから資料館通りに入る。

この道の由来は深川江戸資料館からきている。

深川江戸資料館は江戸時代の町民の暮らしぶりが多数展示され、天保

末期(1842頃)の深川の街並を実物大で再現している。家の中の

家具や道具を触ることができる。

江戸の町民文化等が好きな人たちで休日は賑わっている。

深川江戸資料館の斜め向かいに佃煮を売っているお店がある。

店の店主がちょんまげのかつらをかぶって店の前で呼び込みを

していた。ついつい寄ってしまい、佃煮を食べさせられた。

うまい!

お土産に買うことにした。

近くに昔懐かしい牛乳屋さんがひっそりと重厚な趣で建っている。

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資料館へ来る人や近くを散歩する人が昔ながらの牛乳を買って飲んで

いる。古い牛乳瓶が緑豊かなこの通りと調和している。

清澄通りの一本裏手の道を門前仲町へ進む。

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仙台堀川にかかる「きさらぎ橋」を渡り、しばらくすると富岡八幡宮

と深川不動尊の裏手に出る。

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歩いたためか夕暮れが近いせいか、早くビールが飲みたくなった。

歩きながら、店をどこにするか考えている。

門前仲町は、大衆酒場の宝庫だ。

”魚三”、”だるま”、”万俵”、、、、数え上げればきりがない。

今日は”万俵”に決めた。

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カウンター席しか空いていないといわれるが、もちろんOKだ。

生ビールがうまい!

お通しに”ながらみ”が出された。感激だ。

”ながらみ”は巻き貝に一種で茹でて食べる。

小ぶりなので爪楊枝を刺してくるりと引っ張ると身が出てくる。

最高のうまさだ。場所によってこの貝のことを”しったか”と呼ぶ事

も多い。

案外食べ方を知らない人もいるので、おせっかいかもしれないが教え

ることもある。お礼の言葉は少ない。

このつまみはビールだけでなく酒、焼酎、ウイスキー等なん

でもあうのだ。

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早くも「万俵」に感激した。

その後、美味しい日本酒、こだわりの焼酎、をたらふく飲んだ。

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それにも増して料理が美味しく満腹となり店をでた。

外に出る、夜風が頬をつたわり気持ちよい。

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門前仲町の夜はこれからだ。

辰巳新道で演歌ギターでも聴きたくなった。

永代通りを渡った向こうに”辰巳新道”がある。

昭和の古きよき飲み屋街で、小さなお店が小道をはさんで並んでお

り、人情が店の外から伝わってくる。

しかし、今日は連れも居て疲れているようなので帰ることにした。



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2007年05月20日

門前仲町を散歩する(2)

富岡八幡宮をあとにして永代通りに戻る。

永代通りを茅場町方面へほんの少し歩くと信号のところに不動尊前と

案内板が出てくる。



あげまんの宮月堂と「深川伊勢屋」の間の小道が深川不動通りだ。

伊勢屋はたくさんのメニューを誇る食堂を持ち、団子、深川餅、

のり巻き、いなり寿司、赤飯などが並んでいて休日などは大勢の客で

ごった返す。

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その反対側にある「宮月堂」は、揚げ饅頭の専門の店であり、その味

は上品な下町の味として有名である。

これを土産に買ってゆくたくさんおの客が並んでいる。

1個からでも購入できる為、これを歩きながら食べる参拝客も

いるほどだ。

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ここから深川不動尊までの150mが「人情深川ご利益通り」

と呼ばれている。

毎月1日、15日、28日に縁日が開かれる。この時は露店と

参拝客で大いに賑わう。


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何か懐かしい下町の雰囲気が昼間から漂っている。

深川不動尊が現れる。

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江戸時代、江戸町民のあいだでは不動尊信仰が盛んになり、成田山の

ご本尊である不動明王を拝観したいという気運が強まり、元禄16年

(1703年)に成田山の本尊の出張開帳が深川富岡八幡宮の別当・永代

寺の境内でとりおこなわれ、大変な人気を博したという。

これが深川不動堂の始まりであるとなっているが、、

五代将軍綱吉の母である桂昌院が成田山の不動明王を江戸で

参拝したいと言い出して、それが実現したという説もある。

この開帳の場所が深川永代寺境内で現在の深川不動堂付近であり、

これが深川不動堂の起りである。

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明治に入って神仏分離令によって、永代寺は廃寺になり境内は

深川公園になった。

明治2年に「深川不動堂」の正式名称が認められ、この地に14年に

は本堂が完成する。

現在では、本堂と内仏殿を見学できる。

内仏殿4回にある中島千波画伯の巨大な天井画は見応えが

たっぷりである。



再び永代通りに出て、清澄通りと交差する。

清澄通りを北上し、少し歩くと仙台堀川が見えてくる。

仙台堀川に沿って歩く。美しい緑に囲まれた土手には、芭蕉が

奥の細道の旅先で詠んだ18句が掲示されている。

清澄橋が現れる。ここを渡ると清澄公園だ。

緑がたくさんあり、広い公園内では幼児を遊ばせる父親や母親が

子供以上に無邪気な姿を見せている。

この広い公園と道路を挟んで向かい側に「清澄庭園」がある。

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この庭園は、江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ

ている。明治に入ると岩崎弥太郎がここを社員の慰安や貴賓を招待

する場所として造園を計画した。

隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、枯山水を中心に全国から

取り寄せた名石を配して「回遊式林泉庭園」として完成。

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大名庭園名残も留めており、つつじ、さつき、紫陽花、花菖蒲、

等が美しい。

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ここの池には大きな鯉が優雅に泳いでいるが、存在感も身体も大きな

亀がたくさんいて、晴れた日には亀の甲羅干しが随所で見られる。

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下町の庭園と言うよりは江戸文化の集大成と言ってもオーバーでは

ない。

もう少し居たいが、喉が渇いてきた。

門前仲町へ歩いて戻ることにした。






















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2007年05月13日

門前仲町を散歩する(1)

すでに桜の季節は終わった五月晴れのある日、門前仲町駅を降りて

永代通りと清澄通りの交差点に立ち、どこから歩こうか迷っていた。

ちょうどよいことにお昼の時間になっていた。

蕎麦にしようか、深川めしにしようか即決できず、歩きながら

決めることにした。

永代通りと大横川の間に平行に道がある。

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この小さな道沿いに小さな酒場や古い民家が残っている。

東の方へほんの少し歩くと右側に石島橋が現れる。

大横川にかかる石島橋を渡ると牡丹町へ至る。

そのまま直進すれば古石場公園へ向かう道である。

今日は巴橋方面へ大横川に沿って桜の下を歩いてみた。

桜の葉が緑に染まり、空の青さとのコントラストが実に素晴らしい。

時折、五月の風が爽やかに肌を刺激する。

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大横川は河川改修も落ち着き、桜並木が川と調和して絵のような風景

になってきた。

葉桜となった桜の木々の中に一つだけ桜の花が咲いていた。

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後で聞いたのだが、この近辺は、テレビ・ドラマのロケ地として

隠れた名所であるとのこと。確かに歩くと実感が湧いてくる。

巴橋まで来たとき、昼食を早く決定しなければならないという気持ち

が内面から湧き出てきた。

有名な蕎麦屋がこの橋の右方向にあるはずだ。

「はなぶさ」を見つけに歩いた。見つけたその時、蕎麦は次の機会に

しようと言う考えが脳裏を横切った。

そしてその瞬間、永代通りへ出て、深川めしを食べることに決めた。

しかし、店をどこにするか考えていなかった。

「門前茶屋」は永代通りに面しており、昼食時は880円で食べられる

ことでも有名なので行くことにした。

到着すると店の外までたくさんのお客さんが並んで待っていた。

ここをあきらめて、富岡八幡宮の周辺で食事をしようと考え、

永代通りを渡った。

八幡さんの方向へ歩くと有名な甘味処「由はら」が出てくる。

ここでも深川めしは食べられるのだが先まで行く。

富岡八幡宮の入り口に「深川宿 深川八幡店」の幟が現れた。

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店内は一杯であったが、外に畳のベンチと和風のテーブルが

置いてあり大きな木の下で食事ができるようになっている。

早速、深川めしと生ビールを注文した。

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生ビールを一口喉に入れると、五月の風が木と木の間から爽やかに

吹いてくる。

深川めしのあさりが美味しい。これはやめられない。

気持ちのよい昼食を外でとることができた。

ここには伊能忠敬像があり、こちらをずっと見ている。

いかにも歩いてきそうだ。

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伊能忠敬は日本の測量・地理学の父である。しかも、50歳を

超えてから測量旅行に出かけ地図を作成した。



意外と知られていない事実として、江戸後期にペルーが日本へ

やってきた時、伊能忠敬の作成した日本地図を見て、日本は大変

進んだ文化国家であり、植民地にすることはできないと考えた。

と言う逸話が残っている。

伊能忠敬は門前仲町の住人であり、江戸庶民の文化が世界で通用して

いると思うとうれしくなってくる。

この富岡八幡宮は菅原道真の後裔とされる長盛法印が

寛永4年(1627)に開いた神社である。

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ここで勧進相撲が行われたことから相撲とのかかわりが深く、

境内には横綱力士碑・大関力士碑・巨人力士身長碑・巨人力士手形・

足型碑が立っている。

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暑くもなく寒くもない恵まれた散歩日和である。

次はお不動さんを散歩してみたい。
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2007年04月30日

荒川スケッチ

下町の代表といえば隅田川だ。

その隅田川は荒川から岩淵水門で分岐し新河岸川、石神井川、

神田川と合流し東京湾へそそいでいる。

この隅田川の少し上流に位置する荒川の戸田公園近辺を

散歩した。

ここは戸田漕艇場のある街として有名である。

4月に入ると、1日に“戸田づつみ桜の花見”が土手ボートコース

側で行われ、土手の桜が大変見事である。

7,8日は“お花見レガッタ”が戸田漕艇場で行われる。

4月中旬に桜は終わるが、この漕艇場付近はボートレースで

賑わう季節となる。

4月29日は五大学対抗ボートレース(東京外国語大学、東京海洋

大学、防衛大学、筑波大学、東京工業大学)が行われた。

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明日の30日は東商戦が行われる。

ボートコースには応援する人々が集まり、普段よりも観戦席に人

が入っている。

青空が水面にキラキラと輝き気温も上がってきた。

そんな中、必死に応援をする応援団の姿に懐かしさが

込み上げてきた。

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詰襟学生服をビシッときめての応援は暑いだろうが、母校のため

に必死なのだ。


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当日、レースがない大学でも応援団の規律は厳しい。

たった一人で艇庫の裏で反省をさせられている姿が目に入った。


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荒川を見るためにボートコースから道路を挟んで土手を登る。

荒川の上流を見ると笹目橋見える。下流には戸田橋が見え、

その上を東北・上越新幹線、埼京線が走っている。

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向こう側には野球場等が見える。晴れた休日は野球やサッカーを

小中学生や高校生、大人までが楽しんでいる。

水上スキーを楽しんでいる人もいる。

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無邪気に遊んでいる子供たちを荒川は包んでくれているのだ。

この地域は河口から25kmの距離しかない。

この川を下ってゆけば葛西臨海公園やディズニーランドの

近くまで辿り着くのだ。


寒さもやわらぎ、新緑が目立つ荒川の川べりを老夫婦が

散歩をしていた。

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年老いて歩けなくなった夫の車椅子を押し、土手を越えて

川べりまでやってきたのだろう。

二人の話し声は全く聞こえないが、夫婦の絆を感じた。

老夫婦は荒川のにおいを嗅ぎたかったのだろうか。

青空のもと二人は幸せな時をすごしているのだろう。
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2007年04月15日

桜見物その2

谷中霊園を後にして三崎坂(さんさきさか)へ出る。

谷中小学校の大名時計?がいかにも谷中の街らしさを

かもし出している。

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桜の季節はこの時計に花を添えるように桜が咲き誇る。

通用門は北側にあるのも昔の学校らしさを残している。

この道にはお寺がたくさんあるので落ち着く。

お寺めぐりが好きな方々には最適だ。

この道沿いに”乱歩”(珈琲店)があり、この界隈では有名

であるが残念ながら未だ入っていない。

どこかで一度は入ってみたいと想っている。

三崎坂から”よみせ通り”に入る。

”よみせ通り”も下町らしい商店街であるが、途中から

日暮里駅方面へ右折すると”谷中ぎんざ”が現れる。

”谷中ぎんざ”から”夕焼けだんだん”へ続く通りは、最近

あまりにも有名となっている。

今日は右折せずに真っ直ぐに”よみせ通り”を進むことにした。

通りの左側に小さいながら存在感のある”延命地蔵尊”が

現れる。

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この延命地蔵尊が一番賑やかになるのは、秋に行われる

「根津、千駄木下町祭り」が行われる時である。

ここがサブ開場となっており、フリーマーケットやらで賑わう。

この”よみせ通り”は大正時代までは藍染川であった。

昭和の初期に現在の通りが形成された。

さらに進むと右側に懐かしい歌謡曲を歌う歌手のポスターが

目に付く。

ここはカラオケ”久”の入り口だ。

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個人的には”演歌”と言う言い方は好きではない!

昭和40年代前半まで、歌謡曲と言って、あらゆるジャンルを

網羅していた。

売れた歌謡曲だけがよい歌謡曲であるとは限らない。

歌謡曲は世相を反映し、生きる勇気を日本人に与えてくれたと感

じている。

それがいつの間にか”演歌”と言う言葉に置き換わってしまった

のだ。

現在の”演歌”と言う響きがなにか古臭くインテリ層からは受け

入れられない雰囲気となってしまった。

五木寛之著の「わが人生歌がたり」を読むと流行歌が意外と心の

慰めとなっていることに気づく。

”よみせ通り”を歩いていると落ち着く反面、昭和に戻りたいと

いう気持ちが湧いてきた。

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2007年04月08日

桜見物

今年は冬があまりにも暖かかった為、普段より桜の開花は

早いのではないかと誰もが思っていた。

3月の23日はお彼岸であり、お寺に多くの人が集まる。

しかし、お墓参りにあわせて桜を見ようとしたが、

今年のお彼岸も桜の満開とまでいかなった。

4月の最初の日曜日はさすがに桜が満開となった。

ぶらりと桜を見に行くことにした。

上野公園から東京藝術大学を回って谷中霊園に行こうとしたが、

このところの酒が影響したのか体調がイマイチであった為、

日暮里駅から紅葉坂を上がり、天王寺を拝んでから谷中霊園の

”さくら通り”を目指した。

天王寺はいつきても気持ちが良い。

冬は冬の静けさが。春は、表の”さくら通り”はお花見の見物客

が大勢あつまり酒盛りなどでにぎやかであるが、寺の中は整然と

しており、意外と静かである。

夏は、寺の中の樹木や霊園の木々に蝉の声が響く。

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天王寺には古い井戸があり、安らぎを感じる。

昭和30年代頃は、まだ東京でも井戸がたくさん残っており、

使用していた。子供も水を汲み上げた経験から、小学校の授業で

テコの原理を教わる時、誰もが実感できたものだった。

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桜の花が太い樹木からいきなり花を咲かせている姿を見た。

このような姿に”花の命”は植物の持っている生命とは別の

命があるのかと感心した。

谷中霊園のは桜でトンネルができる。

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そこの両側に所狭しと花見客が宴を開いている。

青空の下、屈託なく大声で話をし、酒を飲んだり、持ち込んだ手

料理を食べている。子供たちもジュース等を飲んで嬉しそうな顔

をしている。

お花見真っ最中のこの”さくら通り”を乱暴にブーブウ鳴らしながら

通り抜けようとして光景を見た。

車の中にお兄ちゃんとおねーちゃんがいた。

顔を見るといかにも、、、いかれポンチ風の顔つきであった。

日本人の楽しみを忘れてしまっているのか、気持ちに余裕がない

のか、残念であった。

何はともあれ”さくら通り”を歩く。

飲みすぎて倒れ、救急車が出動する一幕もあり、お花見としては

盛り上がっていると自分では納得して歩き続けた。

”さくら通り”が終わる頃、昔ながらの家屋が残っている。

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できるだけ長くこの風景を残しておいて欲しいと思う気持ちは

自分だけではないようだ。

続きは次回に








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2007年03月18日

浅草案内から見送り

金竜山浅草寺本堂は、慶安二年三代将軍家光が建てたといわれ、

太平洋戦争時、B29の爆撃で五重塔とともに消失した。

本堂は昭和33年に、五重塔は昭和48年に再建された。

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幕末になり、浅草を訪れた多くの外人は、観音堂の中に吉原の花

魁の絵が飾ってあったことを記述している。

おそらく、江戸の錦絵の美しさが残っていたのだろう。

残念ながら今は見ることができない。

五重塔を見て、まりりんさんは「きれいと!」と一言。

「夜になるとライトアップされ、さらに美しくなるのです。」

と説明する。

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花やしき通りに出る。

浅草の遊園地として有名だが、明治18年、花屋敷と名づけられた

造園に小鳥や小動物を加え料金を取って開園した。

明治の終わりごろから見世物、あやつり人形、猿芝居などが

加わり、動物も増えて人気が出た。

戦後、遊園地となり、浅草らしく回転木馬が現在でもある。

ここのジェットコースターは街中の商店の屋根の上を走るので

怖さが倍増する。

花やしき通りを国際通り方面へ歩くと右にひさご通りが

出てくる。ひさご通りを少し入ると、「米久本店」が出てくる。

”牛鍋” いわゆる ”すき焼き”の店である。

店に入ると大きな太鼓で「どんどん」と歓迎してくれる。

履物を下駄箱に入れて座敷に入る。

明治、大正の時代の匂いがしてくる。

まりりんさんも雰囲気は汲み取ってくれたようだ。

美味しいが量は少ないのでボリュームを求める方には

もの足りないと思う。

今回はここには入らず違う店に行く。

ここから六区の興行街へ。

普通は「ロック」と言うが、浅草で何区という呼び方がのこった

のはここだけだ。

明治30年代、活動写真が流行し昭和の映画隆盛へとつながる。

大正に入るとオペラが全盛となり浅草オペラの基礎が築かれる。

昭和に入るとレビューとモダンな喜劇が流行り、エノケンなど

の活躍、「笑いの王国」のロッパが現れ、以後浅草から今日も

活躍を続ける俳優がキラ星のごとく生まれることになる。

渥美清もその一人だ。

戦後の浅草の大衆演劇や女剣劇など賑やかであったが、

テレビの普及とともに映画も凋落し六区は寂しくなったのだ。

六区がよみがえる時はあるのだろうか。

ボウリングのピンの看板が見えた。まりりんさんは懐かしそうに

携帯電話機で写真を撮っていた。

こういう現代で、演芸場が何とか頑張っている光景に

グッとくる。

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真っ直ぐに行けば すし屋通り 右に曲がり浅草公会堂方面。

この横丁では昔ながらの屋台にお目にかかれる。

(四万十川の鮎と言っているが、、、、、)

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今日はすし屋通りを抜けて雷門通りにでる。

通りを横切り、おそい昼食とすることにした。

ここは、しゃぶしゃぶやすき焼きが食べ放題の店で庶民的

な店である。”鍋ぞう”と言う店である。

ここで初めての経験をした。

一度にしゃぶしゃぶとすき焼きを食べる事ができるのだ。

電子調理器で鍋は一つしか置けない。

謎は深まるばかりである。

やっとわかったのだ。

鍋の中に仕切りがありしゃぶしゃぶとすき焼きの2種類が

味わえるのである。

家内と私はビールを頼んだ。

歩いた後のビールはうまい!

まりりんさんは16時台の新幹線で帰らなければ

、今日中に到着しないのだ。

たくさん食べてもらい、新幹線のなかでゆっくり寝てもらおう

と考えた。

帰りは、地下鉄銀座線で上野まで行くことにした。

日本で最初の地下鉄であることを説明した。

上野駅は東京駅より古いということと地上階ホームが存在する

ターミナル駅は今ではここだけである事は説明した。

本当は上野駅についてもその周辺についても説明したところだが

急がねばならない。

京浜東北線が秋葉原に停車した。

この駅では良く見ることができる服装と言うか、、、地方では

見られない姿を見て、まりりんさんは、くすくすと笑っていた。

電車はゆっくり東京駅に到着する。

新幹線改札まで見送りする。

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無事に帰宅できることを家内と二人で祈った。

「またきてくれればいいなー」と感じた。

新幹線ホームへ歩くうしろ姿が消えるのを見て、我々もその場を

後にした。

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posted by 藍染寅次郎 at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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